首里城

先日首里城の正殿等が焼失した。この記事に関して、正直投稿すべきか非常に悩んでしまった。

なぜなら筆者があまり首里城に詳しくないというのもあるが、2019年は台風など自然災害が日本列島に被害を及ぼし、多数の死者を出してしまった。

そんな中、首里城が炎上し、有難いことであるがすぐに復興基金などが設立され、政治的にもすぐに動き出したが、その他の地域の復興がままならないまま、明らかな管理上の問題で発生した事故であるにも関わらず、前述のように沖縄だけ特別扱いされるのは正直いたたまれない心情が働いたからである。

しかし、沖縄の歴史、芸術、文化を語るうえで、当サイトのコンセプト上、首里城のことを触れずにはいられないことをご理解頂きたい。

 

沖縄では組踊と呼ばれる伝統芸能がある。組踊は琉球王国時代に中国からの使節団に対し、歓待する宴が首里城で披露された。また、地理的にも船での各アジアを結ぶ中継地点でもあったため、沖縄は各国の様々な文化を、この首里城を通して交わってきたのである。いわゆるチャンプルー文化の発祥地であろう。

 

歴史上この首里城から多くの芸術家が排出されてきたことは間違いない。音楽や工芸品など、多くの文化と交わってきたからこそ、沖縄の今の独特な芸術や文化が生まれてきたのだ。また、廃藩置県をきっかけに大衆に一気に芸術文化が開かれていったのである。

つまり、首里城は沖縄のアイデンティティを形成していった沖縄の象徴であるため、単に建物が焼失したという問題ではないのだ。ゆえにそれを失ったショックは計り知れないのである。

 

首里城はこれまで幾度も焼失してきた歴史がある。だが、そのたび力強く復興してきた。

今、地元のアーティストなどはチャリティーイベントを開催したりと復興に向け行動を起こしている。

課題は山積しているが、一日も早い復興を願うばかりである。